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東京高等裁判所 昭和31年(う)586号 判決

控訴人 被告人 川島孝太郎

弁護人 柴田睦夫

検察官 磯山利雄

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用し、これに対して次のとおり判断する。

ところで所論は要するに原判決の事実誤認を主張するものである。然し乍ら、本件記録を精査し、原判決を仔細に検討勘案するも、原判示事実は、原判決挙示の照応証拠により優にこれを証明することができ、原判決にはいささかも事実誤認の違法は存しない。所論によれば、被害者たる道村記者については、業務たる取材活動がなく、従つて同記者に対する業務妨害は成立しない旨主張するのであるが、原審証人道村博、同植月章郎、同山本喜美江、同平野政義、同野口昂の各供述を綜合すれば、道村博がその所属する毎日新聞千葉支局社会部の記者として、支局長の命により原判示第一、現場にその業務としての取材の為出向き、同僚の同社の植月章郎記者が、新聞報道の為め撮つた写真(フイルム)を装填した写真機を被告人等より奪取されようとするのを救わんとして協力応援したことを認むるに充分であつて、斯かる行為は、右道村博の新聞記者としての業務たる取材活動と不可分の関係にあるものと認むるを相当とし、従つて右所為を妨害するにおいては業務妨害が成立するのは当然であつて、所論は到底採用し難い。又所論によれば、被告人等の本件行為は警察官等の不当な公務執行に対する正当防衛であり、仮に公務執行が適法であるとしても、被告人等から見れば違法な公務執行と考えられた警察官の所為に対し防衛の為めに已むを得ずしてなされた誤想防衛である旨主張するのであるが、原判示警察官の公務執行が適法であつて不当でなかつたことは原判決挙示の照応証拠により優にこれを認めることができ、記録を精査するも、右公務執行が不当であつたと認むべき資料は毫も存しない。従つて本件被告人等の所為を以つて正当防衛とは到底認め難く、而して被告人等はこれが公務の執行であることを認識して敢えて判示所為に及んだものであること、その挙示する証拠により明白であるから(違法な公務執行と考えた旨の主張は単なる弁解に過ぎないものと認める)、固よりこれを以つて誤想防衛とも認めることはできない。論旨は総べてその理由がない。

仍つて刑事訴訟法第三九六条に則り主文のとおり判決する。

(裁判長判事 工藤慎吉 判事 草間英一 判事 渡辺好人)

柴田弁護人の控訴趣意

第一点原判決には事実の誤認がある。

(一)、原判決は被告人が朴寅賛等十数名と共謀して、新聞記事取材中の植月、道村に罵倒、暴行を加え、写真機をとりあげ、フイルムを露出し、両名の業務を妨害したと認定する。

(二)、本件証拠を検討して先ず明白なことは、道村記者については業務たる取材活動がなく、従つて、被告人等が検察官主張の如き暴言暴行があつたとしても、同記者に対する業務妨害は成立しないことである。道村記者は証人として(第七回公判)検察官の問に対し、「現場に行つて上り線ホームの車庫寄りの方で私の社の植月記者が、二十名位の人に囲まれて押問答をしているのを見ました……ので……植月記者がゴタゴタしている渦中に入り、取巻いている人々に対し、植月に写真をやる必要はない、植月に対しては僕が引受けるから、君は写真機をもつて出て行つたらよいと言つてやつた。」と云うのである。即ち道村は津田沼駅に取材のために訪れたものではあるが、本件現場に入つたのは、取材のためではなく、植月の急を救わんがためであつたことは、同証人の証言において一貫するところである。取材せんとするもの、取材中のものに威力を用いれば、業務妨害の成立はあろうが、取材をなそうとしておらず、なしていない道村に威力を用い暴行を加えても、道村に対する業務妨害は成立するものではない。道村に対する業務妨害を認定した原判決はこの点で事実の誤認がある。

(三)、原判決が被告人に業務妨害の共謀があつたと認定したのは事実の誤認である。原判決は植月、道村を取巻いた人々は凡て業務妨害の点につき共謀あるものと認定する。ここに集つた人達が取材を迷惑がつていたことは事実である。しかしそのことのため凡てが集団的威力を用いようと思い、又用いることに意思の連絡があつたと認むることはできない。その一、二人が暴力行為に出たと云う形ばかりの証拠は存しているけれども、その行為は、労働者の意思を代表するものではない。共産党員荻原中が、このトラブルを静めるために努力したことは記録上明らかである。共謀と云わんがためには自己の意思として他人の行為を利用するものでなければならない。暴行、実力によるカメラ取上げフイルム抜出しは、その一部のものの行為である。これと共謀した故、共同正犯の責任を負うべきものは、そのような所為に出ることを自己の意思として欲求したものでなければならない。しかも威力を用いて取上げることを欲求したものでなければならない。集つた人々の中にも萩原中と同じく、交渉により自己の蒙ることあるべき不利益を避止する意図を有していたものの存したことは経験則上推認しうるのである。従つて、被告人がこの現場におり、植月証言の如き発言をなしたものであると仮定しても、それをもつて前記の如く、集団的暴力的威力を用いて取材活動を妨害する意図を肯定することはできず、そのための共謀関係の存在を認める証拠はないのであつて、被告人に共謀共同正犯の責を問うは誤りである。にもかかわらず原判決がその責任を被告人に問うたのは事実誤認に基くものである。

第二点公務執行妨害の認定は事実誤認である。

(一)、原判決は「被告人は数十名と共謀して津田沼警察署員等が業務妨害犯人逮捕の公務執行を妨害し警官二十一名に傷害を与えた。」と認定する。

(二)、業務妨害犯人逮捕の公務執行は存しないこと。本件において千代三郎証言は出動の責任者たるものの証言であるが故に、一応聞き流しておこう。具体的な行動を起した警察官が、果して責任者たる千代と同じ考えをもつて行動をしたかが問題になる。証人斉藤台次(第一審十二回公判、東京高裁供述調書)の供述と千代三郎の証言を比較して見よう。斉藤は当日千代の次にある責任者であつた。千代三郎は「新聞記者に事件のあつたことを聞き、記者が指さした二名を逮捕するよう斉藤小隊長に逮捕を命じ、警察官等は群衆に向つて突進した」と云う。しかし当の斉藤証人は「私が人員の掌握を終ると同時に確か鳥打帽を冠つた私服が、千代課長に写真機を取られたと訴えるや、課長はそうかと申し、私の方に被疑者を直ぐ逮捕と云う様に命令があつたと記憶します。(高裁供述調書)第十二回公判においては「津田沼駅より南寄り五十米のところで、新聞記者の指名するものを逮捕するために出動するようにとの命令を受けて出動した。」とする。逮捕の責任者となつた斉藤台次は如何にして犯人を逮捕しようとしたか。逮捕のため斉藤台次の小隊はホームに出動した。しかしその間斉藤は新聞記者を誰にも紹介されない。犯人を指示すべき新聞記者は判らない。そのまま駈足でホームに上つた。犯人を指示すべき記者が何処に行つたかわからない。これでは、如何にして犯人を見付け出すことができようか。果して同証人は被告人の尋問に対し、問、証人と部下の警官達は群衆の中に目的の犯人が居るかどうか判る様な状態であつたか。答、私は新聞記者が目的の犯人を指示したのは見ておりませんから警官達は判らなかつたと思います。判らないまま、警察官は群衆にぶつかつているのである。(以上第一審十四回公判の証言)斉藤証人は写真機を取つた男を逮捕する考えで群衆に向つて前進したが、それは写真機を取つて持つているものが居れば、それが被疑者だと云う考えであつたと云う。そんな考えでは犯人を逮捕できるはずはない。カメラは持主である植月等の手に戻つているからである。果して斉藤は逮捕する相手を発見することができなかつたのである。(以上高裁における供述より)証人千代、道村、植月、斉藤の証言及び供述調書を仔細に検討すれば、その相互間の矛盾、記憶違いと解されない矛盾喰違いが存する。このことは極めて重要であるが、共同被告人等の審理につき、上田弁護人等の第二審における意見陳述書にあますところがないので省略する。逮捕の行動面における責任者たる斉藤台次証人が前記の如く犯人逮捕の方法目的についての見識もなく、群衆にぶつかつたのは、その小隊では犯人を逮捕すべき公務執行の意図を有しなかつたことを物語る。即ち、ただ群衆をけちらすだけの目的のみであつたことを物語るのであり、警察官の行動は公務の執行ではなかつたと云うことは自ら明らかであり、ひいて、従前主張して来たように業務妨害の犯人を逮捕するために中ホームに出動したと云う理屈は事件後作り上げられたものであることを裏付け、そのためにこそ、検察官の立証内部で幾多の矛盾を生じさせているのである。結局、警察官等は具体的適法になすべき公務を有しなかつたものであつて、これに対する妨害が、公務執行妨害罪を構成しないことは言うまでもない。

(三)、公務執行妨害傷害につき共謀関係のないこと。原判決は亦共謀共同正犯として共謀の事実を認定する。ここで共謀共同正犯の成立を認めるためには被告人が数十名と業務妨害の犯人の逮捕及びこれを妨害した犯人の逮捕に対し、逮捕を免れさせるため警察官等に対し、暴行脅迫をなす意思を有し、その意思を外数十名と通じる必要があるのである。そしてそれを認めるためには、被告人及び数十人のものが、警察官が、何をしているかを認識することが、前提である。業務妨害犯人の逮捕行為が存在すると云うことについては、当の警察官自身が認識していなかつたことは、先に述べたとおりである。抽象的には犯人逮捕が彼等の頭の中にあつても、具体的には、如何にして逮捕するか目的もなしに群衆にぶつかつているわけで、目的のないぶつかりは、逮捕を意思したものではなくて、公務の執行は存在しないものと言わねばならぬ。これをひるがえつて群衆から見ればどうであろうか。群衆には警察官の頭の中はわからない。警察官自体、自分等が何をするかについて群衆に知らせた形跡はなし、群衆が了解していた事実はない。群衆は警察官が、群衆襲撃の違法行為を行つて来たとしか考えないのである。警察官証人の多くが、スクラムを組んで抵抗するので逮捕を妨害していると考えたと言うのであるが、もしそう考えたことが真実であるとしても、それは警察官側の逮捕行為をなすと言う前提での観念から言えば自己を正とする前提で反対概念の想定に基くものであり、これら証言によつて、群衆の行為をもつて逮捕を妨害する意図の表現と認むることはできないのである。被告人等の意図は被告人等と同じくこの日集つた大衆一般の証言供述より明らかである。即ち、何もわからないのに警察官がいきなりおそいかかつたために、自己保存の本能からスクラムを組み、自己の不当逮捕に身を守つたと言うだけである。(高裁松田正、中島健治、川崎忠治の供述等)被告人等において、警察官の攻撃について、その意味を全然理解しなかつた(事実群衆をけちらす実力行使であり、そう思つたことは事実に合致している)場合に前記の如き共謀の成立する間がなく、共謀共同正犯の成立は、その前提から不可能なものである。況して二十一名について傷害の責任を問おうとしているが、傷害の発生原因について何ら立証するところがない。逮捕に当り暴行を受けて傷害を蒙つたものがあるかも知れないが、警察官の投石が同僚に当つたとも考えられないわけでなく、又、行動の途中で、ころんでけがしたもの、等もあるかも知れない。逮捕されるときに逮捕から免れようとして、もがいた結果の傷害があるかも知れない。これらの傷害について共謀することはありえず、ここまで責任を拡張するのは共犯概念の不当拡張である。これを要するに群衆は警察官の行為をただに不当な実力行使と考えたがため、不当逮捕を免れるための所為に及んだと解するを相当とし、共謀の成立は、いずこにもなく、そのような認定は当時の状況より不可能である。傷害については発生原因が厳格に証明されていないのであつて、被告人にその責任を問うことはできないものである。群衆の行為は、警察官等の不当な公務執行に対する正当防衛であり、假りに公務の執行が適法であるとしても、群衆等から見れば、違法な公務執行と考えられた、警察官の所為に対し、防衛のためにやむをえずしてなされた、言わば、誤想防衛と認めなければならぬ。

以上の如く原判決は事実誤認があり破棄を免れぬ。

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